“維”旅 レポート
旅のはじめに
2013年 3月 1日
金刺 凌大
和太鼓は遥か昔から日本に存在する楽器です。
それは儀式の中で打たれたり、自然への祈りの中で打たれたり、“何か”と交信するため、コミュニケーションを取るために使われ、または人々を文字通り鼓舞するため、精神を
トランスさせるため、などに使用されてきました。
現代においては、人々に魅せるための和太鼓が主流になってきましたが、未だその精神性を強く残している楽器だと思います。
そしていわゆるステージパフォーマンスとして打たれる和太鼓というものが始まってから
まだ1世紀も経っていないという歴史の短さも、この和太鼓の魅力的なアンバランスの
大きな特徴で、それゆえに、今はその地域ごとで独自の和太鼓文化が作り上げられ、
それぞれの団体・太鼓打ちが自分たちのアイデンティティを求めながら演奏している状態
だと思います。
斯く言う私もその一人です。
様々な太鼓チームがあって、様々な打ち方がある。
そこには歴史的背景や、文化的背景も見え隠れする。
ある意味<和太鼓>という括りでは統一性が無いと言っても過言ではありません。
でも、それが良いのです。素敵なのです。
何が正しい、何が間違っているということではなく、それぞれが想いを持って和太鼓に
向かい、打ち鳴らす音、パフォーマンス、それが全てなのだと思います。
日本語という言語の中にたくさんの方言があるように、和太鼓にも方言があります。
どれも素敵で、オンリーワンはあってもナンバーワンはありません。
言葉をしゃべり始めた人が憧れのしゃべり方を見つけて、真似をする。
真似をしていたらそれはいずれ自分の言葉となることもあります。
そうやって和太鼓も変化をしながら時を経て繋がっていくのではないかと思うのです。
和太鼓は自由です。
そこに何を見出し、何を大事に思うか、信念によって打ち出す音や姿は変わってきます。
自由だからこそ制約がある。そう思います。
自分はまだまだ勉強中です。
この日本には太鼓にかける情熱を燃やし続けている人たちがたくさんいます。
そんな人たちと出会い、語り、その人・そのチームにとっての<和太鼓>というものを
知りたいと心から思います。
そしてそれを皆さまにも伝えたい。
自分にとっての<和太鼓>を考える旅は一生続くと思います。
そのたくさんのヒントをいただきに、“維”旅をこれからスタートさせたいと思います。
たくさんの素敵な方々にお会いできることを祈って・・・。